History of BIG TOE
画像で65年を振り返って見ました!!

BIG TOE65   2020年9月21日(65years old)

9月12日 無事に大手術から丸3年を迎えました。

9月14日 がんの再発、転移を調べるPET造影検査も「再発、転移は認められない」のことで無事にパス!!

順調です!!

主治医からは、「再発、転移がしやすく、多くのがんでは5年経過すれば完解となるが
腺様嚢胞がんは5年生存率はよいが10年生存率はガタッと落ちる。
5年、10年経過しても油断は出来ない。」と釘を刺されましたが・・・

そんなの関係ない!!まだまだ死ぬまで生きたいと思います!!(笑)






BIG TOE65   2020年8月3日(65years old)

来る9月12日で亀田総合病院での大手術で「吉賀賢人」に生まれ変わって丸3年をを迎えます。

その日を境にそれまで悩まされてきた悪縁を京都の「安井金比羅宮」で断ち切り

良縁で結ばれた家族、親戚、友人たちに囲まれ良い事ばかりが起きています。



手術の時には影も形もなかった待望の孫息子に出会い

「BIGTOEとSATOの筋肉オフ会 The FINAL」を100人の仲間と開催!!

5年後にSATOさんと私が元気で居たなら「筋肉オフ会 リターンズ」開催を予定しています。

腺様嚢胞癌闘病記「筋トレが救った癌との命がけの戦い」の出版、

平行して進めていた断捨離の一環として我が家を実にスムースに処分

BIGTOEの名前入りの永代供養墓製作

それまでのこの世での仮の住まいの一発当選!!

そして、コロナ禍での「ONCE UPON A BODYBUILDING in U.S.A.」の月ボ連載開始!!



すべて、2017年7月の「ステージW、危険な手術をしなければ余命3ヶ月」の癌宣告で

生き残ったから出来たことです。

「人は使命が残っている限り死なない」と言いますがそのとおりと思います。



でも、油断は禁物です。「腺様嚢胞癌」は5年、10年が経過しても再発、転移しやすい癌です。

癌罹患後に出会った腺様嚢胞癌患者会「TEAM ACC」の多くの仲間も再発、転移の

苦悩の中で前向きに戦っています。

がんサバイバーのみならず、この世に生を受けたものは誰しも明日の保障はないのです。



「筋トレが救った癌との命がけの戦い」筋トレで癌が治るわけではありませんが

筋トレで鍛えた鍛えた筋肉と体力があったからこそ

大手術を乗り越え、リハビリを乗り越え、今を迎えられたのは事実です。



これからは、命ある限り生きるための筋トレを継続し

「体力つくりの大切さ」と「病と戦う体力作り」を啓蒙していきたいと思います。」



この世に生んでくれた両親、命を繋いでくれたご先祖様、

共に人生を歩んでくれる妻、娘、息子、孫息子、心優しき友人たちのすべてに感謝して!!


※コロナ感染拡大のため長年培ったノウハウでホームトレーニングに取り組む


BIG TOE64 2019年(64years old)

2017年の癌宣告、命がけの手術からもうすぐ2年になります。
お蔭様で、術後2回目の誕生日を迎えることができましたことを、お世話になった亀田総合病院の先生方、看護師さんを
はじめとする医療関係の方々、全力で支えてくれた家族、九州の親戚の皆さん、
心より心配してくださり、さまざまな応援をくださった心暖かき友人たちに心から感謝致します。

昨年、6月には勤務先を退職し、
9月には1年に及ぶ入院、療養生活でお世話になった千葉県鴨川市から生まれ故郷の兵庫県に帰ってきました。

そして、現在は尼崎総合医療センターの通院しながらの経過観察中です。

しかし、この年になると体のあちこちにガタがきますね。目の調子が悪いので眼科に行くと「緑内障」と診断され、
先週は、口腔内にできた「骨腫」と「白板症」の除去手術を受けてきました。

体は現世限定、使用期限付きの消耗品ですし、いつか壊れます。
それまでは、健康に留意しながら、近隣のトレーニング施設で体力の回復、増強を図りながら
皆さんからいただいた「人生の延長切符」を有効に使って、残りの人生を楽しみます!!


【気管癌(ACC)治療のために受けた手術】



【現在の癌と戦うための体力作りトレーニング】

【外科手術・放射線治療で固まった可動域回復目指す】

【体の変化】
手術前 78kg
手術後、入院半年後 64kg(14kg減)
退院1年後 75kg(10kgアップ)

【入院中のベッドでも行っていたストレッチをしながら尻、脚を鍛える】

【手術から1年9ヶ月の体】「マッスルメモリーはあります!!」

【SATOとBIGTOEの筋肉オフ会 The FINAL 開催!!】

【100人近くの有志が集まり盛り上がりました!!】



【BIGTOE 吉賀賢人著】
筋トレが救った癌との命懸けの戦い
〜線様嚢胞癌ステージ4からの生還〜


アマゾン、楽天ブックス、体育とスポーツ出版社などのホームページから購入できます!!









★ 

BIG TOE63 2018年(63years old)

2月12日、半年近くに及ぶ入院生活を終えて退院しました!!


困難な手術をしてくださった亀田総合病院の呼吸器外科N医師、頭頚部外科K医師、
看護師さんたち、家族、親戚、友人たち、すべてに感謝です!!


(ご縁を感じる清澄寺にて)

(全日本プロレス ゼウスと)

(療養の地はサーファーの聖地 鴨川)

(亀田総合病院近隣にあるサーファーショップGLSSEAの仲間と)


BIG TOE62 2017年(62years old)後半

6月末、喉の違和感を感じ近所の耳鼻咽喉科を受診しました。その結果、「大きな病院で検査を
受けたほうがいいです」とのことで、所沢の「防衛医科大学病院」へ。

「エコー検査」で喉に腫瘍があることが判り、「CTスキャン」を受けるとその腫瘍が気管内に伸びているとのことから、
「気管支内視鏡検査」へ。
腫瘍の画像を目の当たりにすることになる。同時に細胞を採取。

結果、気管内から喉頭部へ伸びる10cm近い「腺様嚢胞癌」という稀少癌であることが判明。

この「腺様嚢胞癌」、効く抗がん剤がなく放射線も効かない。
性質的には、しつこく、転移、再発しやすいという。
打つ手といえば、重篤な障害が残る外科手術のみという。

もともと、「体にメスは入れたくない」考えだったのでセカンドオピニオンとして築地の国立癌センターへ。
しかし、見方に大きな差はなく、障害が残る外科手術しかないとのこと。
重粒子線、サイバーナイフ、免疫療法、遺伝子療法と模索するも有効な治療法が見つからない。

途方にくれているところに親友からの「スーパードクターを紹介するから是非受診してほしい。」との電話。
そして、サードオピニオンとして「亀田京橋クリニック」へ。

しかし、頭頸外科と呼吸器外科のふたりのスーパードクターの診断はもっと逼迫したものとなる。

「すでに気管内の癌が気管の3分の2を塞いできており、放置すれば早ければ3ヶ月で窒息死する」というのだ。

命をつなぐには、「喉頭部全摘出」、「気管のほとんどを切除して胸に気管孔という人口の呼吸器を
つくる」しかない。

それも時間的な猶予はなく手術するにしてもギリギリのところまできているとのこと。

1週間の熟考の末、「亀田総合病院」で「生きる!」決断をすることに。

喉の違和感以外に自覚症状は全くなく筋トレも絶好調だったのに・・・。

9月11日、千葉県鴨川市の亀田総合病院に入院。

9月12日、長ければ16時間におよび、合併症も含めると10〜20%死に至る可能性があるという
大手術を受ける。






詳細は・・・

「BIGTOEの未来を生きるために!!!」

http://new-bigtoe.blog.jp/


半年に及ぶ入院生活で過ごしたKタワーからの御来光



ドクターヘリ


BIG TOE62 2017年(62years old)(76kg)前半

時間が経つのは早いものです。
父のまさかの急逝から1年。最愛の母のやはり予期せぬ急逝から2年半が経過しました。


関西に帰るたびに墓前に手を合わせに行きます。


父の一周忌法要を終えて、新しい未来へ向かって歩んでいます!!

2017年は、希望に溢れています!!


トレーニングは自身が逝くまで続けます。62歳のバックポーズです。












BIG TOE61 2016年(61years old)(75kg)

いやはや2016年の6月は将に波乱続きの6月でした。
ベンツに当てられる貰い事故から始まり、

千葉での展示会開催中の最愛の父の急死。

神戸での貰い暴力(相手は頭がいかれている教職につく公務員。
やり返せば周囲に迷惑がかかるし、何よりも人間として自分自身も地に落ちますからね)。

いいこともありましたよ。仕事ではちょっと大きな売り上げをゲット!

そして、そして、なによりも最愛の娘の結婚式!!
最高の結婚式でした!!父として感激しました!!
悪いことすべてを打ち消してくれました!!

そんなわけで、トレーニングは1月に2回できず、不規則な食生活、睡眠不足で
体重は3kg減。自分の誕生日すら忘れていました。

7月にはいって、トレーニング、英会話も再開!!

最高の「BIG TOE61」を目指します!!












BIG TOE60 2015年(60years old)(75kg)

まだまだ先と思っていたら
還暦を迎えてしましました。
年末の除夜の鐘以上に緊張した一瞬でした。
あと5分で還暦!あと1分で還暦!
時間よ!!止まれ〜!!!
アカン!!
なってしまった!!
BIG TOE59 2014年(59years old)(75kg)
えらいこっちゃ!!
いよいよ
還暦に王手をかけてしまいましたんど!!(汗)
まだ二十歳と思っていたら・・・
人生まさに「浦島太郎」!!
気がつけば、来年六十のおじいさん!!ではあ〜りませんか!!
しかし、筋トレ効果は素晴らしい!!
Slow & steadyでトレーニングを生活習慣化しているせいか
同年代の人たちよりは若く見られるようです。(単にアホだからかもしれませんが・・・(笑))
Anyway、これからも奇跡の出会いを大切にして
「生きてる限り健康に!!」と合言葉に死ぬまで生きようと思います!!
2014年は、ご近所の教会に英会話のレッスンにも通い始めました!!
ギターや体幹トレーニングも生活習慣化しています!!

2015年はどんな還暦じじいになっているか・・・
楽しみだあ!!!

体重は75〜76kgを常にキープしています。
好きなお酒とスイーツを控えれば6パッククッキリも夢じゃあない!!


多摩ジムに念願のレッグプレスマシンが入りました!!
老体がさらにインプルーブしそうです!!
どんな脚になっているか?還暦が楽しみです!!


BIG TOE58 2013年(58years old)(75kg)




多摩ジムトレーニング




ホームトレーニング



2012年(57years old)(84kg→77kg→80kg)

3年余りに及ぶ民主党政権崩壊、再び自民党政権へ
一度は政権放棄した安倍政権再び!!右へ左へ揺れ動く日本です。

リーダー不在の今の日本。
「アベノミクス」と銘打った、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略に
期待するしかないのでしょう。

1年後を楽しみにチームともども自らの目標に向かって鍛え前進します!!
2011年(56years old)(78kg)
今年は3月11日に未曾有の東北関東大震災に見舞われました。そして、今日で半年が経過。
大津波に襲われた地域は今だ復興の目途もたたず、福島第一原発の事故も収束の目途すら立たない状況下にあります。
1995年1月17日、阪神大震災を兵庫県宝塚市で体験しました。生まれて40年、初めて経験した大地震だったので
「もう、生きている間にこんな大地震を体験することは無いだろう」と思っていました。
その阪神大震災も16年が経過して、ボロボロだった神戸の町は一応の復興をみています。
今回の大震災も地震と津波だけであったなら、時間はかかっても1日1日復興していくのでしょう。
でも、今回の事故は「原発」という人間が(特に広島、長崎と2度も原子爆弾の犠牲となった日本人が)
手を出してはいけなかったものに手をだしてしまった人災なのです。
「原発」によって生み出される高濃度放射性物質(核のゴミ)は人間の科学では無毒化できない、無毒化されるには
10万年から100万年を要するという人類が作り出した史上最悪の毒物なのです。
人間は、電気と引き換えに、目先の利権、金と引き換えに、自らの安全だけでなく、地球上のすべての生物を
犠牲にしてきたのです。
そして、今でもなお「原発」を推進しようとしている人間がいる現実。

今までにない現実に直面した2011年でした。
地球は、人類という悪魔によって滅亡するのかもしれません。悲しすぎます。

経済も末期的状況で厳しい状況が続いています。
そんな中でもなんとかトレーニングを続けている幸せに感謝する今日この頃です。
チームBIG TOEのメンバーもそれぞれ厳しい
状況下でも頑張っています。

先日、行なわれた四国選手権、愛媛選手権ではETSUSHIが四国マスターズ優勝を成し遂げました。

私は、膝痛、腰痛、肘痛に悩ませれた年ではありましたが、維持はしています。
今年の目標、腕囲46cmもまだあきらめていません。
9月10日現在。体重78kg、腕囲44cm。
2010年(55years old)(76kg)

2010年も引き続き不況で景気が回復する兆しなど微塵もない
中小金属加工業界。7月にも懇意にしていた関西の中堅板金工場が
倒産しましたが、何とか生きています。

曲がりなりにも多摩ジムで週1〜2回、あとはホームトレーニングが
出来るので神に感謝です。

もう、肉体の進化ではなく退化の記録になるからやめようか・・・
などとも思いますが、今年も記録だけはしておこうと更新します。

チームBIG TOEも今年は、昨年のMISUくんのセントラルジャパン
バンタム級優勝に続いてBIG TOMIが東京オープン75kg超級を制し
チーム二人目のチャンプも誕生しました。

私もいやがうえにも「年などと言い訳せずにトレ頑張らねば!!」
と思い、今後チームメンバーとのトレを増やし、自らも若返りを目指します。

そこでまず。宣言したのが、腕囲45cm。
そして、体脂肪率10%以下。
そして、記録のために撮った写真を見るとこの1年間脚のトレーニングは
膝痛を言い訳にヒンズースクワットのみだったのが影響したのか
脚が棒状態なので、脚のバルク回復を今日加えました。

作戦は、腕囲45cmは、自ら現役時代に一番腕を太くできたBIG TOE式高強度トレーニング。
脚は、膝が悪いのでスロートレーニングから入ります。
体脂肪はそのあとです。
もしかしたら来年は進化した56歳を公開できるかもです(笑)。
(2010年8月16日)
【2010年12月17日】
チームBIG TOEも2010年は、昨年のMISUくんのセントラルジャパンバンタム級優勝に続いて
BIG TOMIが東京オープン75kg超級を、佐藤君が東京クラス別60kg級、東日本60kg級を制し
チームに3人のチャンプが誕生しました。
RED SPIDER、ZEUSも加わり益々活気付いてきました。
来る2011年はさらなる飛躍をとげることでしょう!!
BIG TOEの6月には56歳を迎えるわけですが、チームの息子たちとともに生きてる限り健康に!!頑強で
ありたいと思います!!
2011年。チームBIG TOEはさらに飛躍します!!

「BIG TOEとSATOの筋肉オフ会」も2010年で10年目を迎え120名の参加者とともに有意義な時間を過ごせ
ました。2011年、第11回ももちろん開催します!!

2010年10月、55歳4ヶ月にして大阪のプロ写真家のSHAGAさんに
撮影していただけるという機会に恵まれました。感謝!!
By SHAGA
人気プロレスラーZEUSとの撮影
By SHAGA

2009年(54years old)(77kg)


いやあ、昨年9月のリーマンショック以来、日本の中小企業、

とりわけ金属部品製造業は瀕死の状態ですね。

私が所属する会社もその金属部品製造の中小の町工場が

お客様だけにもろに大波を食らって溺れそうです。

しか〜し、自分には長年鍛えた体と大勢の仲間がいます。

チームBIG TOEの息子たちも初コンテストに向けて

頑張っています。

世の中どう変わろうが健康な体と心があれば何とかなる!!

54歳もトレーニングに励みます!!

(2009年6月14日 BIG TOE)
2008年(53years old)(77kg)
2008.6.11
食生活が変わったため、
一時は73kgまで減った体重が76〜77kgに。

多摩ジムで1部位週1回の頻度ですが
比較的コンスタントに
トレーニングが出来ているので
筋肉の張りはGOODです。

ただ、
現在の目標は健康管理+年齢にそぐわない
がっちりした体。

もう少し体脂肪を落とすことも検討中です。
早朝のさわやか川沿いの有酸素ジョギングを
考えています。
2007年(52years old)(77kg)
この1年は職場を変わり環境が180度変化したため生活が乱れジムトレーニングは週1回に。
あとは1日1部位フラットベンチとダンベル、チューブ、自重でのトレーニングでした。
スクワットもしていなかったためウエイトは5kgダウン、ウエストも5cmダウン、パワーもダウンでした。
きつかったジーンズがぴったりになったのはいいのだけれど・・・
昨日からまた軽いウエイトからスクワットを始めました(笑)。(07.6.17)

[オススメリンク]
通信教育リクルートエージェント多汗症

2006年(51years old)
この年になると仕事も何かと忙しくジムでのトレーニングは週1・2回。
あとは自宅で暇を見つけてのチューブ・ダンベルでの細切れトレーニングを実施している。
加齢とともに関節やあちこちが痛くなるものだが
チューブとダンベルでのスロートレーニングは反動を使わず軽重量で行なえるので
関節にやさしく中高年には最適のトレーニングだ。
体重はもっぱら82〜3kgをキープしています。
焼けてなくて真っ白なせいもあるが昨年より太めに見えるのは何故?
エアロバイクでも取り入れようかと考えております。


10秒で下ろし3秒で上げるスローダンベルフライ
2005年(50years old)
健康第一でどこまで維持できるかに努めます。敵は怪我と年齢と自分自身の心(笑)。
これからは頭を使った考えるトレーニングが必要ですね。
1995年(40years old)
減量前90kgでした。
減量後、勤務先の屋上で昼休みに撮影。撮影は警備員の後藤さんです、ありがとう!元気にしてますか!
ミスター関西
 (写真提供:月刊ボディビルディング)
ミスター大阪
 (写真提供:月刊ボディビルディング)
ミスター関西優勝 ミスター大阪優勝
「月刊ボディビルディング」に取材していただいたときに撮影 (写真提供:月刊ボディビルディング)
1985年(30years old)
この年ミスター岡山1位・ミスター関西3位・ミスター西日本5位でした。
(倉敷トレーニングプラサと沖縄に向かう船上゙にて)
ユタ州BYUでのデッドリフト ベニスビーチ(マッスルビーチ)でのベンチプレス
「Heavy for MASS!」ヘビートレーニングにこだわっていたころです。今から思うと若いからできるトレーニングですね。
1980年(25years old)
ミスター大阪初出場 新人賞を頂きました。「あの時僕も若かった♪」
前年に右足を骨折し入院しましたが、退院後、目標を持つためにコンテスト出場を決めました。でかいJBBAのマーク入りのパンツがなつかしい。
1975年(20years old)
トレーニングを始めて間もない頃。まだ、学生でした。
ただ、がむしゃらに種目とセットをこなして朝には体が痛くてしばらく動けない状態でしたね。
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